★大仏殿入堂前にできれば東大寺ミュージアムへお立ち寄り下さい。 入り口右手に大きな大仏様の両手レプリカが展示されています。
★東大寺に来て、大仏様の大きさについ見過ごされる奈良時代の塑像、日光、月光菩薩像の美しさも再認識していただきたいのです。
入館口で体温検査を済ませて、入るとすぐ前と横の壁面に東大寺建立の歴史映像が流されています。静かな音量で、コンパクトに、すっと心と頭に染みます。できれば終わりまで見て下さい。
◉展示室入り口正面に国宝の誕生釈迦仏立像。 ◉国宝八角灯籠火袋羽目板(こくほうはっかくとうろうひぶくろはめいた)。これはよく見ておいて下さい。大仏殿の前に立つ八角灯籠の1面です。昭和37年銅製品が値上がりしていた頃で、ドロボウが入り、剥がしたはいいが、重すぎて、おいて逃げたようです。金メッキの色はまだ部分的に残っています。外にある八角燈籠はもう完全にサビ色になっていますが。 ◉大仏殿の鎮壇具(ちんだんぐ・寺院を建立する時に,地鎮のために埋納される品)が並んでいます。美しい水晶、金、ガラス玉など。新聞でも取り上げられた金銀鈿荘(きんぎんでんそう)大太刀(陽剣・陰剣)。 ◉奈良時代、東大寺の正門は、西大門。そこに飾られていた聖武天皇勅額(ちょくがく)。東大寺の別名・金光明四天王護国寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)と書かれている文字をしっかり確認して下さい。現代の字と違うものがあります。額周りの諸像は鎌倉時代のもの。
ミュージアム主室には
十一面千手観音を主尊に、★脇侍国宝・塑像日光、月光菩薩がおたちです。 振り返って★国宝・塑像四天王像。静かに、ゆっくりと拝観してください。塑像は次の部屋にもありますが、落魄(らくはく)が悲しいお像ばかりです。国宝塑像の制作技術の高さがわかります。
あと、東大寺文書、瓦類が並んでいます。
ミュージアムを出ると右手にすぐ、国宝・南大門
治承4年・平重衡奈良焼き討ちで炎上した東大寺を再建したのは、京都醍醐寺の俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)。大仏鋳造と仏殿再建の技術(大仏様)を、当時の中国・宋より鋳物師(いもじ)・陳和卿(ちんなけい)を通じて取り入れ、鎌倉時代の東大寺復興を成し遂げました。東大寺造営勧進職(かんじんしょく)を受けたのは61歳とのこと。東大寺再建仕上げの仕事が南大門でした。この時、重源は79歳 すごい!
★南大門 基壇上高 25、461m ★柱18本 21m
重源上人は、源頼朝の配慮で、周防(すおう)・山口県国司となり、周防の桧、銅を使いました。南大門と仁王像は山口県から来た桧材で作られています。
大仏様・・・だいぶつよう と読みます。 柱に 指肘木( さしひじき) 、天井は化粧屋根(天井を張らないで、棰(たるき)を見せた屋根裏)、用木には彩色を施すのが特徴
国宝 木造 仁王像
鎌倉時代・慶派奈良仏師の技量集大成のような仁王像。 総指揮 運慶(うんけい)、制作期間 69日 阿形(あぎょう) 快慶(かいけい)ほか13名小仏師 吽形(うんぎょう) 定慶(じょうけい)、湛慶(たんけい)ほか12名小仏師 金剛杵(こんごうしょ)・仏敵を倒す(古代インドの)武器を持った大迫力の仁王像が出来上がった。見上げて、大きさ(約8m)に驚く。足元を見ると、しっかりと地面を掴む指先、血管の浮き上がりまで見える。この巨像が、小さいものも含めて、3000もの寄木でできている。迫力満点の仁王像だが、おへそのあたりの高さから写真を撮ると、なんと、胴長短足の気の抜けたお姿に写る。 下から見上げる人々の目線に合わせて、造像されているのだ。
南大門を出ると さあ 鹿さんたちが おせんべ 待っていますよ!