鹿の群れる、囲みの塀なき寺

いますね鹿が。たむろってます。南大門基壇前の芝生
これずっと興福寺の境内で、手前は公道。ここにも鹿が休んでます。

興福寺は、藤原氏の氏寺として、近江・山科寺、藤原・厩坂寺うまやさかでら)、を引継ぎ遷都後最初に平城京に建造された寺。藤原一族の氏寺でありながら、北円堂は、元明・元正帝の発願であり、東金堂は聖武帝五重塔、西金堂は光明皇后が造らせた、ほぼ国の寺である。平安以降江戸期まで、大和の中心の寺であり続けた。明治維新神仏分離令、廃仏毀釈はいぶつきしゃく)と世相が動き、時の流れと言いながら、興福寺を囲いの塀なき寺にし、幾多の国宝級の文物を寺外に流出させた。奈良公園の鹿も、いち時期ジビエの危機があったそうな。今は、幸いなことに、興福寺世界遺産として、鹿は天然記念物として、大切に守られている。

境内は、ほぼ囲いの築地塀が無い。どこからでも出入りできる。なので鹿の群れは自由に動き群れている。逆に境内を歩いているのに興福寺はどこですかと観光客に聞かれて、目が点状態になることもある。で、興福寺歩きも、行き当たりばったりご案内になる。

地下駅近鉄奈良駅を上がると         東大寺遥拝の行基菩薩像噴水。
目の前の商店街東向き通りを通り抜け三条通りに出る

東向商店街のお話はこちらへ

三条通りを左手に少しゆくと高札場がある。江戸時代この辺(橋本町)が一番の繁華街の印。奈良県の里程元標(りていげんぴょう)の表示もあるが、実際は向側、もちいどの通り入り口付近の通路にあった。
その場所の地表に里程元標と丸で囲んである。下を見て歩かない限り気がつかない。
高札場の後ろに奈良公園最大のムクノキがある。葉っぱは紙ヤスリのようにざらついている。昔は細工物に使っていたようだ

猿沢池と采女伝説

采女神社。采女は天皇の身の回りを世話する女性の職名。美女で、地方豪族の娘か姉妹、13〜30歳以下の条件。そりゃ目移りもするわなあ。帝に忘れ去られて、この池に身を投げた采女を悼み、社が作られた。が、身を投げた池を毎日見るのはイヤ!と社は一夜にして向きを変えたそうな。確かに社は鳥居を背にしている。
采女神社の対岸に、九重の石塔と小さな采女地蔵、少し先に采女が身を沈める前に脱いだ衣を掛けた衣掛柳の石碑がある。柳の姿は見えない。歌人会津八一、最初の奈良旅に「わぎもごが きぬかけやなぎ みまくほり いけをめぐりぬ かささしながら」采女が衣を掛けた柳を見たいと雨の中池の周りを歩いた。とあるから、昔はちゃんとあったのだろう。

采女神社、中秋の名月の祭礼・采女祭りの解説板が猿沢池畔にある

猿沢池と龍伝説

猿沢池の名は、インドの佛蹟(ぶっせき)・猴(猿の王様)池(びこういけにちなんでつけられたそうです。興福寺の放生池(ほうじょうちとして作られた人工池ですが、作られてからすでに千年以上が流れ、いくつもの伝説が伝えられています。その一つ、この池の底は、竜宮城に通じていて、竜が住み着いていたが、采女が身を投げたため、死の穢れを嫌って春日山の香山(こうぜんに移り住んだが、そこにも屍を捨てるものがいて、室生の龍穴に住まいを移したそうです。       中世の説話集、宇治拾遺物語うじしゅういものがたり)に猿沢池の龍の話興福寺の大鼻の僧が、人々から鼻のことでイジられるストレスがたまり、イジったやつらの鼻を明かそうと、某月某日この池の龍が天に昇ると立て札を立てた。噂話の広がりにニタついていたが、当日池の周りどころか三条大路を埋め尽くす人波にひょっとして、まさかと思いながら、南大門の石段からひたすら池を眺めていた。当然何事もなく、日が暮れていった・・と、物語は終わる。が、近代の作家芥川龍之介は、この龍を、小説「龍」で3月3日に天に昇らせてしまいました(ご一読を)

奈良観光のランドマーク猿沢池越しの興福寺五重塔
龍はいませんが、亀さんが日向ぼっこ
猿沢池越しの春日大社の御蓋山。 春日山

猿沢池の北側で三条通りが急な登り坂になり終点春日大社の一の鳥居に向かう。猿沢池の西端あたりに、興福寺南円堂への上り石段。東端側から五十二段の石段が興福寺五重塔前に上がる。その真ん中辺に南大門、中金堂正面への石段がある。ここが一番上がりにくい。ただ、一段登るたびに中金堂の金色の鴟尾が、大屋根が、朱色の金堂嬉しい感動と共に浮かび上がってくる。南大門基壇前は少し広く開けていて、右手にトイレがある。正面竹の柵で四角く囲まれているのが、「般若(はんにゃ)の芝」。鹿は今日もゆったりと休んでいる。この下に尊い経典が納められているかもしれないことも知らずに。(『大和名所圖會,残2巻』に 南大門の「石壇の下なるしばそこ(芝の下に)に、いにしへ遠い昔大般若経だいはんにゃきょう六百巻うづまれし(うめられた)ゆゑに、般若の芝と号(いわれた)す。と伝える

南円堂への石段。不空羂索観音菩薩(ふくうけんさくかんのんぼさつ)の幟(のぼり)が続く
石段を上がるごとに南大門基壇の上に中金堂が浮かび上がる
五十二段の石段は、五重塔の前に。菩薩が悟りを開くには52の修行があるところから・・とのこと。五十二段の石段を上がると悟りの世界興福寺・・。

南大門基壇下 般若の芝

竹の柵の中、芝生の緑があるところが般若の芝毎年五月第三の金、土曜日ここで、薪御能が執行される
南大門基壇礎石(レプリカ)本物はこの礎石直下に保存されている。
江戸時代の薪御能図。南大門基壇下に薪が焚かれている。                大和名所図会より

西金堂修二会は、仏に捧げる神聖な薪を春日の花山から運び、それを迎える儀式を猿楽に真似させて神事芸能とし、献ぜられた薪は、式の行なわれる手水屋において焚かれ、その浄火の下で猿楽が演じられ、薪猿楽(たきぎさるがく)と称された。」(興福寺HPより)  後に薪猿楽南大門にて執行されるようになり、薪御能となる。      

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中金堂

興福寺諸堂度々の焼失にも、その都度、再建。創建当時の姿を保って現在に至る。     平成30年10月中金堂落慶7度の焼失天平の礎石は、「64基」が残り、柱の位置は奈良時代から変わらない天平の礎石は土をかぶせて保存。その直上に平成の礎石を置いて建立。薬師寺が台湾ヒノキでの諸堂再建だったように興福寺も柱材はカメルーン産オーストラリア産日本は木の国ではなかったの・・・・

★中金堂拝観諸仏

• 金色に輝く主尊・迦如来坐像          (しゃかにょらいざぞう)江戸
• 脇侍・薬王・薬上菩薩立像                                 (
やくおう・やくじょうぼさつりゅうぞう)鎌倉・重文
• 吉祥天倚像(厨子入り)           (
きっしょうてんいぞう)南北朝・重文
• 大黒天立像(
だいこくてんりゅうぞう)鎌倉・重文
• 四天王立像(
してんのうりゅうぞう鎌倉・国宝

     薬上菩薩

・法相柱(ほっそうちゅう) 法相宗の祖師14名を描くこの柱絵創建当初より、中金堂の柱に描かれ、焼失のたびに再現された。誰が描かれていたかは不明。享保2年(1717)焼失以降はなく、平成30年(2018)の中金堂再建落慶にあわせて、畠中光享画伯によって再現された。

中金堂国宝文化財案内へ

拝観時間 9:00~17:00(受付終了16:45)                       諸堂は、行事によって拝観不可の場合があります。HP等で前もってご確認ください。

中金堂拝観料 大人500円      ★御朱印は、勧進所と南円堂納経所で授与

南円堂へ

つい見過ごされるが、休憩所&売店と不動堂の間に見える。額塚(がくずか)興福寺「月輪山」の額を埋めた塚。南大門にこの額を掲げると異変があるのでここに埋め、山号も使っていません。
右近の橘、ニホンタチバナが常緑の枝を広げる。古事記にときじく の 香(かく)の菓(このみ不老不死の菓として出てくる文化勲章のデザインはタチバナの白い花。「文化は絶えることなく伝える」物との昭和天皇のご意向と伺う。
左近は桜だが、ここは藤原の氏寺。当然の藤棚。観音浄土・補陀落山(ふだらくさん)は、八角形の山、藤の花が咲き乱れている。南円堂はこの有様を写したものと興福寺の縁起書にある。小学館、興福寺のすべてより

ご近所様への奈良土産おすすめNO1 興福寺でしか販売していない精進ふりかけ。あを・丹・よしの三種。ふりかけの老舗が、製造している。食欲不振の折おかゆに振りかけたが、すっといただけた。お値段もほどほど。何よりかさばらない。
おびんずる様(賓頭盧尊者)正面は金網越しだが、左右両横に手を入れる窓がある。自分の痛む所を触って、おびんずる様の同じ所を触ると痛みを引き受けてくださる。小柄な者も手がとどくのが嬉しい。コロナも過ぎたので、解禁されたようだ。
願い事を一つずつ聞き届ける一言観音は霊験七観音巡拝所。例年4月17日には放生会(ほうじょうえ)が行われます。

平成修理の折、国宝金銅灯籠(現在国宝館に展示)のレプリカが作られた。 銘文は小説家陳舜臣、書は今井凌雪。
重文南円堂・平安時代弘法大師が建立に関わったとされる。藤原北家の内麻呂追善のため、冬嗣が建立。藤原一族にとって大切なこの堂は、西国三十三所観音霊場第九番札所でもあり、江戸・享保の火災の後1番に再建された。日本で一番大きな八角円堂で、堂内諸仏は運慶の父康慶とその弟子が造像。国宝仏に溢れる。

南円堂 大般若経転読会 10月17日   この日 南円堂開扉

 現在の転読法要は、導師の「大般若~」の発声と共に、僧侶各人が大声で経典の題目・訳者を唱えながら折本経典を空中に乱舞させ、読み終わると元の状態に収められます。その様子は、観る者を飽きさせません。現在も慈悲の羂索で衆生を救う南円堂本尊・不空羂索観音菩薩の御宝前で転読法要が厳修されます。御本尊の背後には、天井までの高さがある大きな「不空羂索観音菩薩画像」を奉懸します。   興福寺HPより

★南円堂国宝諸仏案内へ

南円堂のすぐ傍に、ひっそりと小振りの鐘撞堂がある。

興福寺では朝6時、正午、夕方6時の3回鐘をつかれる

鐘の音が静まってから、次をつかれる。その間静かに、直立の姿勢は崩れない。思わず見入ってしまった。

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