久方ぶりに奈良に雪が積もった。正面礼拝堂の屋根にも雪が見える。 この風景だけ見るとクリスマス前の静かな教会風景に見える。だが、スマホを構えている私の後ろは、近鉄奈良駅前のひがしむき商店街で、今も、国内外の観光客で溢れかえっている。 中の建物・礼拝堂、幼稚園舎はどう見てもすぐ後ろにある興福寺の仏堂の転用に思われるが、 昭和初期に建てられた、れっきとした礼拝堂。興福寺の境内であったであろうこの地に洋風建築は厳しく、宮大工の信者さんが昭和5年に建てられたと聞く。現在は国重要文化財。
門扉と東向の通りは同じ高さ。礼拝堂は高い石垣の上に建っている。 礼拝堂と興福寺の諸堂は同じ高さにある。つまり、興福寺境内は高台にあり、現在近鉄奈良駅ビル前の広い道は、昔は狭く横断歩道の少し先に高い石垣があり、石段を登り興福寺境内に入っていったのだろう。東向の名前の由来は、興福寺の石垣の下に家は建てられなかったので、道の向かい側に東を向いた家が並んでいた・・・から来たそうな。
話は変わって、まっすぐ歩けないほどの人出まではいかないが、周りは異国の方ばかりのこの頃。キリスト教徒らしき一団の東洋系の方々が、クリスマスリースと、門の中の、基督生誕の飾りつけをみて、門を開けようと騒いでいた。今コロナ対策で、日曜礼拝以外解放されてないようだ。見学希望の場合は ★ホームページ https://nskk-nara.com→
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この商店街三分の二が喫茶を含む和洋中のお食事どころ。土産物屋、ダイソー、ドラッグストアー等、あと老舗の和菓子店、奈良漬屋と南都銀行本店。いわゆる土産物屋はどんとすくなくなっている。
地下駅の近鉄奈良駅から上がったところに、大仏殿の方角に手を合わせる、行基菩薩の陶像がある噴水の広場。すぐ前の東向商店街をはいったところに柿の葉寿司たなかがある。 本来、柿の葉寿司は、奈良県の南部吉野川沿いの地域食。鯖は奈良市よりずっと近い和歌山からきていた。そもそも奈良市は奈良県の一番北端。奈良時代朝廷に来る海産物は若狭・福井方面からが多い。それはさておき、柿の葉寿司は、海なし県奈良のご馳走。名の知れたお店がたくさんある。1度はお召し上がりを。
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観光シーズン中は、まっすぐ歩けない通路を少し行くと、右へ行くと小西通り、左はチラッと見ただけで行く気になれない急坂の上に興福寺・北円堂の姿が見える細い道がクロスする。通りすぎてすぐ、クリスマスリースの門の手前に、少し通りから引いて老舗和菓子舗「千代乃舎(ちよのや)竹村」がある。
写真は竹村ホームページより
落雁・青丹よし、饅頭の神様林浄因にちなんだ、奈良饅頭、謡曲から取った野守の鏡。奈良にちなんだ和菓子が並ぶ。お店に入ったら、右手の壁側に目を凝らして欲しい。天皇陛下行幸の折、和菓子献上の感謝状が県から出されているが、よく見ると、奈良県ではなく堺県となっている。明治維新後、奈良県は一時堺県だった歴史の証である。若者向けのスイーツもある、喫茶コーナーも。
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道が緩やかに下りになるあたりで、南都銀行のショーウインドゥが目をひく。奈良の四季の行事を、力を入れて展示している。本店外観は大正15年に建てられたギリシア、イオニア式の列柱と柱には、羊と花綱・(富と豊穣のシンボル)の彫刻がある国登録有形文化財。ひがしむき通りに面した入り口の上の銅板は、右から南都銀行と横書きされている。東京から来た知人に奈良の近代建築として紹介したが、思っていたほどの反応がなかった。所用で東京日本橋に出かけて、三井本館を見て納得した。おそらくは南都銀行本店の2倍以上の高さでエンタシスの列柱が並んでいる、壮大な建物。国重要文化財だそうな。
そして三条通りに出る。奈良に都ができて1300年を超えても、道幅はかなり失われているが、三条大路そのままである。大路の終着は春日大社一の鳥居。