窪地に隠れる、優しい国宝三重塔
鹿と大仏様と猿沢池越しの興福寺五重塔。 奈良の絵葉書定番。 近鉄奈良駅前から目の前の急坂を上ると、 右手木々の向こうに興福寺境内。 興福寺は、境内を囲む築地塀がない。 どこが奈良公園で、どこが興福寺か? 興福寺左手の県関係建物群も、江戸期まで興福寺の境内。 で、今奈良公園と言われている所はほぼ、旧興福寺境内。
明治維新の一時期、興福寺存亡の危機があった。その頃、境内を西欧の公園風にするため興福寺の塀を取っ払った。興福寺は、復興されたが、築地塀は再建されないまま現在に至っている。 なので鹿たちは自由に興福寺境内を我が物顔でうろついている。 人々の流れも興福寺拝観の後、地続きに国立博物館から東大寺、春日大社へ、五十二段を降りて猿沢池から奈良町へと自然に流れてゆく。興福寺は、旧市街を見下ろす高台に立地しているのだ。
興福寺には、奈良観光のシンボル五重塔の他にもう一つ三重塔がある。 北円堂と共に最古の、鎌倉時代再建建造物。もちろん国宝。 しかも普通の三重塔と違う
初層は、床下がある普通のお堂になっている。 平安時代、崇徳天皇中宮・皇嘉門院(こうかもんいん)が建立。 治承4年重衡に焼かれ、すぐ再建されたので、平安時代の様式を残すとの事。
「初層内部の四天柱(してんばしら)をX状に結ぶ板には東に薬師如来、南に釈迦如来、西に阿弥陀如来、北に弥勒如来を各千体描き、さらに四天柱や長押(なげし)、外陣の柱や扉、板壁には宝相華文(ほうそうげもん)や楼閣、仏や菩薩などが集う浄土の風景、貴族風の人物などを描きます。」興福寺HPより
弁才天供
明治以降、世尊院の弁才天坐像と諸尊(十五童子)をうつして安置。学問遂行を祈って熱心な弁才天信仰が続いている。現在は7月7日の午前10時より法要を厳修し、三重塔の年に一度の特別開扉を行っている。
やさしい作りのこの塔は、実は少し窪地に立っている。 辿り着く道は二ヶ所。
不空羂索観音の赤い幟がはためく。この写真の左手に塔への道がある。
北円堂の前を南に下った所、南円堂の石段を半分降りて、不空羂索観音の赤い幟がきれて、右手に抜けた木立の向こう、南円堂の裏手にある。 国宝館や、五重塔の下を修学旅行やバスツアーの団体が渦巻く時も、三重塔の前はまばらな人影しかない。
塔の向こう側に何かが動いた。
今は5月。
おそらく、生まれてそう時間が経っていな
い子鹿だ。可愛く、母鹿のそばを動き回っている。
気配を察した母鹿のキッとした視線に、思わず
足音を忍ばせてそこを離れた。
この塔の向こうに、土塀に囲まれた興福寺会館がある。 年数回大学の講座があり、「奈良の目からウロコ」のお話を伺いに来る。 ある時門をくぐってなにげに振り返ってみて、あっと思った。 三重塔の左後ろに南円堂の屋根、右手奥に五重塔の相輪と上層の屋根が見える。 窪地のここだからの景色。思わずスマホに収めてしまった。(トップの写真です)