水谷茶屋から道ひとつ越えて、急な石段を登ると目の前に若草山

少し急です
この日は鹿せんべい飛ばし!

山裾に並んだ土産物屋の前の道路は、常に鹿と車と観光客で埋まる。なので若草山のフェンスの前の道まで登り、手向山(たむけやま)八幡宮に抜けるのが、よろしいかと。鹿がまとわりついてきたら、手のヒラを広げて、鹿の前で無いよと振ってください。彼らは、ちゃんと学んでます。「あ、せんべい持ってないんや・・」と。手向山神社近くに降りる階段はゆっくりと。すぐ下に公共トイレがあります。

フェンス ギリギリに通路があります
公共トイレ

手向山八幡神社、石の鳥居を入ってすぐ、左手に天智天皇皇子、湯原(ゆはら)王の万葉歌碑。               ★秋萩の 散りのまがいに 呼び立てて 鳴くなる鹿の声の遥けさ                           散り乱れる秋萩の中に妻を求めて鳴く鹿の声が遠く聞こえる。                                                          

若草山側 手向山八幡宮 鳥居 
湯原王 万葉歌碑

小さな石橋の左に泥が堆積した池。ひときわ泥がえぐれている部分がある。秋、恋の季節に、モテたいがために雄鹿は泥の中に放尿、その泥に体を沈める。秋の雄鹿はかなり汚れてます。触ると一週間は臭いが消えないそう。気も荒くなっているので、近寄らないでください。少し歩きにくい石敷きの通路の右手若宮社、祭神は、仁徳天皇。社殿扉前に狛犬が見えます。もともと間仕切りの几帳(きちょう)の布抑えの置物が扉の外へ出て、守護の任務を与えられ、建物の外へ出て、社を守ります。

雄ジカの泥浴びの池くぼんだところ
若宮を護る狛犬・唐獅子

本殿にゆく石段右手に菅原道真みちざね)が座ったとの伝説の石と、歌碑。                                    ★このたびは 幣(ぬさ)もとりあえず手向山 紅葉のにしき 神のまにまに                    今回の旅は急で、御弊(おそなえ)の用意なく参りました。お社を覆う錦織りなす美しい紅葉を、お供えとして、お受けください。旅の無事は御心のままに。) 

道真公はモミジに埋もれ一休み。

石段を上がったところにオガタマノキの大木があります。「招霊(おきたま/おぎたま)」が転化。神木として神社の境内に植えられます。                        日本の神話では、天岩戸の前で、天鈿女アメノウズメ)がオガタマノキの枝を持って踊りました! またミカドアゲハの幼虫の食樹です。

御本殿御祭神 応神(おうじん)天皇、仲哀(ちゅうあい)天皇、神功(じんぐう)皇后、姫大神                大分・宇佐うさ八幡宮より東大寺鎮守として勧請(かんじょう)。八幡様の分社第一号です。    最初は平城宮近くに祀られ、後東大寺の鏡池近くにご遷座。平安末の焼き討ち後、現在地へ

八幡様の先導は2羽の鳩。灯籠のイラストは鳩、胸のところがハートになってます!        絵馬は独特の馬の形をしています。御祭神応神天皇の愛馬、黒馬の「あつふさ」の姿です。               中世、東大寺衆徒は八幡様の御輿(みこしを担いで強訴したそうです。             

向かいあ2羽の鳩が可愛
黒馬も珍しい絵馬
さりげに優雅な石灯籠が
手向山御本社入り口
そっと鈴を振ると、爽やかに優しく響きます。
上院側 手向山八幡宮 鳥居

鳥居を出ると左手に校倉が二つ 南側が手向山八幡宮宝庫、北側が法華堂

手前が法華堂(三月堂)経庫向こうが手向山八幡宮宝庫

大仏殿から階段100段以上高い上院(じょういん)地区 には、東大寺の前身寺院となる金鐘山寺(きんしょうせんじ)の堂とも言われる法華堂(三月堂)や、二月堂四月堂開山堂絵馬堂(食事処になっています。)があります。

国宝法華堂・三月堂  屋根の色、窓と扉、床下、見比べてください。左は天平時代、右は鎌倉時代

東大寺最古の建物。不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)を本尊とし羂索堂三月に法華会が行なわれるので、法華堂、三月堂とも。左側の正堂(しょうどう・仏堂)、右側の礼堂(らいどう・礼拝場所)と当初は双堂(ならびどう)形式の建物。礼堂部分は鎌倉時代、重源上人が建立。東大寺前身の金鍾山寺主要伽藍(がらん)のひとつ。このお堂で華厳経が日本で初めて講義されたと伝える。堂内は見事な国宝天平仏像群。全10体本尊不空羂索観音像、金剛力士像、四天王像。秘仏執金剛神像は(特別開扉12月16日)

朝日新聞紙面より

本尊が立つ八角二重壇の下段に創建当初、今は、ミュージアムに移られた日光・月光菩薩(梵天・帝釈天)、現戒壇堂四天王像、それに背面の執金剛神像の七体の塑像が安置されていた。また巨像の梵天(ぼんてん)・帝釈天(たいしゃくてん)、四天王、金剛力士の8体はこれらの諸仏からおくれて法華堂に安置されたと考えられています。

拝観料 600円 御朱印 300円   御朱印は東大寺全体では17種類あります。

二月堂の名は、修二会しゅにえ)・お水取りが旧暦の二月に行なわれることから。開基東大寺別当良弁(ろうべん)僧正の高弟実忠(じっちゅうの草創、江戸期修二会中に焼失、その2年後に再建された。 

修二会十一面悔過とは、私達が日常に犯した色々な過ちを、二月堂の本尊である十一面観世音菩薩に、懺悔し、人々の幸福を願う行事。天平勝宝4年(752) 大仏開眼の年以来、1年も休む事なく2023年には1272回を数える。  

お元気な方は二月堂正面石段を。少しお疲れな方は、手すりがある石段が、三月堂と二月堂の間にあります。

カヤの大木が正面に
使い回された石段の模様が  楽しくて
上り切った横に二月堂ご朱印受納所
手水所の欄間(らんま)に東大寺初代別当良弁僧正が鷲にさらわれてから別当になられてお母様と対面まで、4つの場面が彫られている
大きな二月堂灯籠と奉納額

手水所のすぐ左、二月堂背面の通路があります。ここは静かに通ってください。時間によってはお身代わり十一面観音菩薩へお勤め中かも。尚御本尊十一面観世音菩薩様・大観音(おおがんのん)、小観音(こがんのん)様どちらも秘仏で、どなたも御姿をご存知ないそうです。

二月堂の舞台から見る景色。目の前に上院の諸堂。そのさきに大仏殿大屋根奈良の市街地が広がり、遠く生駒山の向こうは大阪府。この写真の右側は佐保山の丘陵になり、そこを少し超えると京都府奈良市は奈良県の北の端にあります。    大阪京都の中心部へほぼ30分ほど。東京から新幹線京都経由だと2時間30分 奈良県上北山村から車で約3時間。 

二月堂正面左の階段の向こうに休憩所があります。是非お立ち寄りください。常時お水取りや東大寺の行事のビデオが流されています。又お松明や、お水取りの関係資料も壁面に掲示されています。トイレは奥の扉の向こうにあります。

休憩所奥にトイレ
壁面に籠松明や写真など資料が
長い長い歴史今も続く
夕刻この階段を上る練行衆を 大松明が先導する。
階段下。練行衆宿所      立ち入り禁止の札
長年月の松明の煤で真っ黒の 屋根裏
           若狭の井戸                行中の3月12日深夜この井戸から観音様にお供えする1年分のお水を組み上げるので、お水取り。  奈良時代最初の修二会に招かれた若狭・遠敷明神様が遅刻され、お詫びの為、観音様にお供えする水を若狭遠敷川から、この井戸に湧き上がらせた。
      食堂じきどう               練行衆は1日1回だけここでお食事を取られる

二月堂裏参道。趣あるこの道筋を、スケッチする姿をよく見かけます。

裏参道からの二月堂
土と瓦で作られた土塀は今時のブロック塀よりはるかに頑丈で、風情があります。かなり古い時代の瓦もあるようです。
二月堂にお供えする餅米を作るたんぼ
大湯屋(鎌倉時代)        奈良時代はサウナ、鎌倉時代は鉄の湯釜からお湯を汲んで体にかけるだけ。湯船に人が浸かるのは江戸時代から
奈良時代三面僧房に止宿した僧の食堂【じきどう】の礎石
講堂跡に続く道この小さな橋の近くで昔狸に化かされた人がいたので、狸橋

正倉院地区ここは、宮内庁管轄。なので、土日祝日正倉院外構は見学できません     見学時間午前10時から午後3時までです。                          光明皇后が聖武帝御遺愛品等を盧舎那仏(大仏)に奉献。これが正倉院宝物。正倉院宝庫朝廷監督下、東大寺が管理。明治8年(1875)内務省へ,今宮内庁の所管。なお,宝物は現在西宝庫・東宝庫に保存。

正倉院外構見学入り口
   正倉外構                   奈良時代からずっとここにあった。2度の大仏殿炎上や、すぐそばの杉本神社と杉の木が落雷で燃えた時にも燃えずにここにある。その大きさと共に驚く。文豪森鷗外は、自著・奈良50首に感動を歌っている。
杉本神社と杉
三面僧房の角地   
奈良時代諸寺中、最大の講堂
礎石の大きさに驚く
奈良市教育委員会 2011年12月 史跡東大寺旧境内 大仏殿北方地区の調査より  三面僧房と講堂、大仏殿平面図
     現在整備中案内板

正倉院の左前方に広がるのは、講堂と三面僧房跡。東大寺の大きさを感じる。

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