12月17日は、春日若宮(天押雲根命・あめのおしくもねのみこと)の、日本で一番遅いお祭りがあります。始まりは、平安中期。大雨、洪水による飢饉、疫病蔓延等の悲惨な状況に、時の関白藤原忠通が、御本殿に祀られていた、天児屋根命、比売神の御子神若宮を現在地にお迎えし、御神助を願い、翌年御旅所にて、丁重なる祭礼を奉仕したのが、おん祭の始まり。八百七十有余年、途切れることなく続き、今日に至りました。「春日大社おん祭の案内文より」
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当日は、御旅所へ遷られた若宮神のもとへ社参する、平安時代から江戸時代に至る風俗を満載した伝統行列(芸能集団や祭礼に加わる人々)が奈良の中心を練り歩きます。 参拝、見物の人々で街中は大変なことになります。 なので、地元住人は、ついつい、「今日は家にいよ。」と巣ごもりをします。 でも今年は、20年ぶりの式年造替!美しくなった若宮さんにお参りしたいと思っていた時、駅で(春日若宮おん祭先参りを)のチラシを見つけました。 本日12月13日。行ってみようとぐるっとバスに乗り込みました。
このバス、春日大社本殿前まで100円で参ります。観光客用に特別コースで走ってます。西大寺駅、平城宮跡、宮跡庭園(奈良時代の庭園跡)、市役所、油坂(JR奈良駅近く)、興福寺、東大寺、春日大社と巡ります。運賃は100円です!!
コロナがまだ終焉に向かわないまま、密集を避けてお参りを・・のご配慮かと、ふと思います。 チラシには、16日まで、各日先着40名の記念品として、大和士(やまとざむらい)「乗出しの祝」の酒肴「意伝坊・いでんぼう」をお渡ししますと書いてます。 意伝坊とは、米、胡麻、小豆、山椒、芥子、味噌を材料として結び昆布を添えた珍味と、正露丸より少し大きいぐらいの丸薬風の写真が添えられてます。 若宮社到着時間はすでに昼を過ぎていたので、石段の上の立て看板に本日は終了の案内。 ちょっと残念の顔をしたのか、そばに立っていたガイドの方が、代わりの記念品がいただけますからと番号札を渡し、おん祭と御造替のガイドをしてくださった。 地元ですとは言い出せなくて・・・・ごめんなさい。 久々に拝見するお社は、瑞々しく、美しく変わっておりました。なぜか、お願い事をするのを忘れて、無心に柏手を打っていました。 日本の神様は御社殿や、御宝物が、新しければ新しいほど、美しければ美しいほど、御神力が増すと伺ったことがあります。どうぞ来年も無事に過ごせますように。
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夫婦大黒社のところで番号札と引き換えに小さな布袋をいただきました。ふと見上げると八朔(ハッサク)が黄色い実をつけていました。今は、レプリカが置かれていますが、 国宝殿にある関白藤原忠通奉納と伝えられる重文、柚木灯籠(ゆのきとうろう)があったところです。 緑の濃い中、黄色の実が目を引きます。
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振り返ると、若宮社の社殿右側に小ぶりの梅の木が。紀貫之が読んだ「人はいさ 心も知らず故郷は 花ぞ昔の香に匂いける」と歌ったその梅の木の接木で、戦後1度枯れた木の根元からひこばえが生えたものだとのこと。
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ご社殿の周りは竹柏(ナギ)が繁茂しています。普通の木の葉は網目状の葉脈だが、ナギは草の葉脈のように真っ直ぐ。この木は鹿が食べません。春日神社が創建された頃植えられて、他の木は鹿が食べて、今この樹林は天然記念物になっています。 鹿は・・・スゴイ。そしてそのナギの木にフジズルが絡んでいます。今の時期ではわかりにくいですが、藤の花の咲く頃、御本殿回廊付近、若宮社を取り囲む木々の上の方にフジの花房がオーロラのように絡んでいます。
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帰り道石段右手に、椿の木があります。椿ファンに若宮椿と呼ばれているそうですが、花の色が、少し濃い花びらが散る、ちり椿だそうです
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左手に若宮様を守るように、若宮大楠が枝を伸ばします。神功皇后御手植え伝説の大木です。 この風景がどうぞいつまでも続きますように。